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phistory NID:113841 DispID:96257 CrawlDB Status:1 View:1259 ModifiedDate:2008/12/28 12:29 Public:1
wjddlsrb1159 日本外務省の独島広報パンフレットに対する反駁文@

 

日本外務省ホームページに掲示された独島広報パンフレットに対する反駁文を載せます.

 
17世紀中葉に独島の領有権を確立したということと係わって
独島渡航は禁止しなかったということと係わって
 
 
1.日本が昔から独島を認識したという主張と係わって

 

日本の主張

o 日本は昔から独島の存在を認識していた.
- 経緯導線を表示した日本指導として一番代表的なナがグボセキスイ(長久保赤水)の 「改訂日本余地路程前も」(1779年) など日本の各種指導と文献がこれを確認してくれる.

日本主張の虚構性

o 「改訂日本余地路程前も」は賜刈(私撰)指導として 1779年原本には鬱陵島と独島が朝鮮本土とともに彩色されない状態で経緯導線の外に描かれていて日本領域の外の島で認識している.BR>
o なおかつ日本海軍省の「朝鮮東海岸も」(1876年)のような官撰指導たちはむしろ独島を韓国の領土に含ませている.

o 1696年徳川(徳川) 幕府政権が日本漁民たちの鬱陵島図解を禁止した以後二つの島に対する認識が曇って独島をMatsushima(松島), 李陽してからも(リヤンコ島), ラングコも(ランコ島), 竹島(竹島) などで混乱するように呼んだだけでなく地理的位地図完全に忘却するようになった.

▲ <資料 1> 日本海軍省の朝鮮東海岸も(1876年) :
日本海軍省は独島を朝鮮の所属で表記している.
 

 

 

 

2.韓国が昔から独島を認識することができなかったという主張と係わって

 

日本の主張

o 韓国が昔から独島を認識していたという根拠はない.
- 韓国側が主張する傘島が独島というのを裏付ける明確な根拠がないし, 傘島は鬱陵島の他の名前や仮想の島だ.

日本主張の虚構性

o 独島は鬱陵島で肉眼でも眺めることができて鬱陵島に人が居住し始めた時から認識することができた.このような認識の結果世宗実録地理志(1454年), 信証東国輿地勝覧(1530年), 東国文憲比考(1770年), 満期搖りかご(1808年) など韓国の幾多の政府官撰文書に独島が明確に表記している.
- 特に東国文憲比考(1770年), 満期搖りかご(1808年) などには “鬱陵島と傘島は皆于山国の地であり, 傘島は日本人たちが言う松都(松島)”とはっきりと記録している. 松都は当時日本人たちが呼ぶ独島の名称だ. 傘島が独島というのを明確に知らせてくれている.

o 2005年日本オキソムで発見された安竜福関連調査報告書である 「ワンロック9ビョングザニョンゾソンズチァックアンイルグォンジガックで」(元禄九丙子年朝鮮舟着岸一券之覚書)には安竜福が携帯した指導に鬱陵島と独島を朝鮮の江原道に附属した島に銘記している. (下の <資料 5> 参照)


o 今日と違い地図製作技術の不足で古地図の中で独島の位置や大きさを過ち描いたのがあるが, これが独島の存在を認識することができなかったという証拠になるのではない.
- 韓国の古地図は官撰指導でも賜刈指導でもいつも東海に二つの島, すなわち鬱陵島と独島を一緒に描いていて独島の存在を明確に認識していたことを見せてくれている./FONT>


▲ <資料 2> 鬱陵島で眺めた独島 :
独島は鬱陵島から肉眼観測が可能だ.

 

 

 

 

 

3.17世紀中葉に独島の領有権を確立したということと係わって

 

日本の主張

o 日本は鬱陵島に渡る時の停泊場や魚菜誌で独島を利用して遅くても 17世紀中葉には独島の領有権を確立した.
- 江戸(江戸)時代初期(1618年), ドットリボンのヨナで住民である午夜(大谷), 大根だとカーと(村川) 良家は幕府から図解(渡海)兔許を受けて鬱陵島で独占的に漁業をして転覆を幕府に献上した. 独島は鬱陵島に渡航するための航行の目標や途中の停泊場として, またあしかや転覆捕獲の良い漁場として自然に利用された.

日本主張の虚構性

o 図解兔許は内国島に渡航することに必要がない文書なので これはむしろ日本が鬱陵島・独島を日本の領土で認識していなかったという事実を立証するのだ.

o 17世紀中葉の日本古文書である 『ウンズシチォングハブギ(隠州視聴合記)』(1667年)は ‘日本の西北の方限界をOki島にする''と記録して日本人たち自ら独島を自国の領土から除いている./FONT>

o 1877年日本国家最高機関である大政官は 17世紀末日韓間ギョソブギョルとを土台で “…稟議した主旨の竹刀(竹島, 鬱陵島)外一刀(一島, 独島)の件に対して日本は関係がないということを肝に銘ずること”と言いながら独島が日本の領土ではないことを公式的に認めた.

o 一方日本外務省も 『造船国付き合い始末内偵で(朝鮮国交際始末内探書)』(1870年)から ‘竹刀(鬱陵島)と松都(独島)が朝鮮部属になっている始末’という報告書を作成したので松都(独島)が韓国の地なのを自認こんにちはだった.

 

▲ <資料 3> 造船国付き合い始末内偵で(1870) :
日本外務省文書として鬱陵島と独島を朝鮮の領土で明らかにしている./FONT>

 

 

4.独島渡航は禁止しなかったということと係わって

 

日本の主張

o 日本は 17世紀末鬱陵島渡航を禁止したが, 独島渡航は禁止しなかった.
- 1696年鬱陵島周辺漁業を取り囲んだ日韓簡儀交渉結果, 幕府は鬱陵島への渡航を禁止したが, 独島への渡航を禁止しなかった. これは当時から日本が独島を自国の領土と思ったことが明らかだ.

日本主張の虚構性

o 17世紀末日本幕府政権が鬱陵島渡航を禁止する時, ‘竹刀(鬱陵島) 外ドットリボンに附属した島があるか’という江戸幕府の質問に対してドットリボンは ‘竹刀(鬱陵島), 松都(独島)はもちろんその他に附属した島はない’と回答しながら, 鬱陵島と独島がドットリボン所属ではないことを明らかにしている.

o も日本資料(午夜が(大谷家) 文書)で見える ‘竹刀(鬱陵島) 内の松都(独島)’(竹嶋内松嶋), ‘おかゆも近辺の松都’(竹島近辺松嶋) などの記録がよく説明してくれるところのように ‘独島は鬱陵島の付属島嶼(属島)’で見なされた.だから 1696年 1月鬱陵島図解禁止措置には独島図解禁止も当然含まれていた.

o 図解禁止措置以後ある日本の独島名称混乱は日本が独島渡航はどころか独島に対してまともに認知さえできなかったということを立証している.

 


▲ <資料 4> 日本大政官ジシムン(1877年) :
日本明治(明治) 政府の国家最高機関である大政官は 17世紀末日本幕府が下った鬱陵島図解禁止措置などを根拠で
‘鬱陵島と独島が日本と関係ないということを肝に銘じなさい’と内務省に指示した.
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

5.安竜福の陳述内容と係わって

 

日本の主張

o 韓国が自国主張の根拠で引用する安竜福の陳述内容には多くの疑点がある.
- 安竜福の渡日(渡日)活動は自分の不法渡日罪を削るために誇張したことで日本の記録とも符合しないから事実ではない.

日本主張の虚構性

o 安竜福の渡日活動については朝鮮の備辺司でも徹底的な調査が成り立ったのでそれを記録した朝鮮の官撰で記録が真実ではないと言う日本側主張は受け入れにくい.
- また日本の記録にないことが朝鮮の記録にあると言って朝鮮の記録が過ちだと判断することは日本側の独断に過ぎない.

※ 安竜福の渡日活動は肅宗実録, 承政院日記, 東国文憲比考など韓国の官撰書と竹刀記事(竹島紀事), ズックドドヘユレギバルソゴング(竹島渡海由来記抜書控), 異本白旗だ(異本伯耆志), 人足年表(因府年表), 竹刀で(竹島考) など日本文献に記録されている.BR>
o 安竜福の活動によって鬱陵島/独島に関する論議が日本であったし, 結果的に二つの島を朝鮮の領土で認めるようになった.
- 日本側は安竜福事件で両国間に領土問題が頭をもたげると 1695年鬱陵島/独島がドットリボン(鳥取藩)に帰属した時期を問い合わせる江戸幕府の質問に対して ‘ドットリボンに属しない’と言うドットリボンの回答があった.

o 1696年 1月に下った幕府の図解禁止令は同じ年 8月ヨナで(米子) 住民に伝達したのでヨナで住民がその期間独島へ行くことができたので, 同年 5月鬱陵島で日本人に会ったという安竜福の陳述を偽りで見る日本側主張は妥当ではない.

o 2005年日本で発見された安竜福関連調査報告書である 「ワンロック9ビョングザニョンゾソンズチァックアンイルグォンジガックで」(元禄九丙子年朝鮮舟着岸一券之覚書)はその末尾に安竜福が携帯した地図を参照して朝鮮八道の名前を記述しながら鬱陵島と独島が江原道に属することを銘記していて当時安竜福が独島を朝鮮地だと述べた事実をはっきりと立証している.

▲ <資料 5> 1696年安竜福関連調査報告書 :
安竜福の 2次渡日の時活動状況を記録した文書で ‘竹刀’(鬱陵島), ‘松都’(独島)が江原道に属した
朝鮮の領土なのを銘記している.
 
 
 
 
 
 
出処:北東アジア歴史財団


12/28 12:36 oppekepe http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/phistory/114000/20081228123043423808920200.jpg> 500mmレンズで撮影された写真。肉眼で見れる証拠にならない。
12/28 12:37 oppekepe 江戸幕府の質問に対してドットリボンは ‘竹刀(鬱陵島), 松都(独島)はもちろんその他に附属した島はない’> 鳥取藩の島ではないのであたり前。鳥取藩は、幕府の直轄領である隠岐に付属した島として認識。
12/28 12:39 oppekepe このような認識の結果世宗実録地理志(1454年), 信証東国輿地勝覧(1530年), 東国文憲比考(1770年), 満期搖りかご(1808年) など韓国の幾多の政府官撰文書に独島が明確に表記> 朝鮮は、東国輿地勝覧の同じ記録を「朝鮮半島から見た鬱稜島の記録」として1696年に日本に回答している。
12/28 12:45 globalexplorer 資料1:日本海軍省の朝鮮東海岸も(1876年) : <<<<<これは海図であって、領土を示す地図ではありません。この地図の北側には、ロシア領ウラジオストックがかかれていますが、これが朝鮮領土でないのと一緒です。
12/28 12:52 ubot581 連合国の九日本領土処理に関する合意書

『第3項:連合国は日本が過去に領有権を獲得した韓国本土とすべての周辺の島々(済州島
-Quelpart,巨文島-Hamilton,鬱陵島-Dagelet island,独島-Liancourt Rocks,Takeshima)とその外の島々を日本から除いて大韓民国(the Republ ic of Korea)の主権にすっかり委譲することを合議する.』 合意書に重要部分抜純

->12/28 13:05 wjddlsrb1159 終了ですね k
->12/28 13:30 oppekepe ちなみに、この「合意書」に合意した国はありません。国際法において無意味ですねw
->12/28 13:41 wjddlsrb1159 難読証ですか? 合議した国がなければ, 合意書の存在する理由は何? k
->12/28 15:09 oppekepe 具体的にどこの国が合意し、署名・批准したのですか?教えて下さいねw
12/28 13:35 ubot581 連合国総司令部は 1946年 1月日本政府に鬱陵島と独島は韓国領土と規定する覚書きを発表したが, 日本が独島近くでずっと操業するなど問題を起こすと 1946年 6月 ‘マッカーサーライン’を通じて日本が独島で漁夫ができないようにするなど独島が韓国領土なのを再び明確にした.
->12/28 13:38 wjddlsrb1159 わっ, 私が先に使おうと思ったが k
->12/29 13:19 inukanha 本人も書いているように、scapinは「覚え書き」www  国際法でも国際条約でもないww
12/28 13:41 ubot581 oppekepe あなたは馬鹿ですか? 合意書に合議した国はない.?? 合意書の内容を抜粹したことなのに合意書ではない?? 合意はない?? 国際法には無意味?? 読解力 15位国家は何やら違いますねWWW
12/28 14:04 raizo145 条約>>>>>>>>>>>合議  馬鹿でも分かる。
12/28 14:11 wjddlsrb1159 日本人に見せてあげる良い, 記事の内容抜純,

1943年のカイロ宣言は ¥'暴力と貪欲で強制占拠したすべての領土から日本を放逐する¥'と明示したし, 1945年 9月日本東京に設置された連合国最高司令部(GHQ)は数ヶ月の調査あげく 1946年 1月 29日連合国最高司令部指令(SCAPIN) 第677号を発表した. この指令 3組では日本の領土で ¥'鬱陵島とリアングクルアム(独島), 済州島を除く¥'と明示した. これは独島が韓国領土なのを最終判決した国際文書だった.

こういうわけで独島は韓国(当時米軍政)に返還されたし, 連合国最高司令部は 1952年に解体されるまで独島を日本領土で帰属させるという内容の指令を発表した事がない. また 1946年 6月 22日の SCAPIN 第1033号では一名 ¥'マッカーサーライン¥'を設定して日本船舶たちを独島の 12海里以内に進入することができないようにした.
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