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phistory NID:113868 DispID:96283 AibonDB Status:0 View:11 ModifiedDate:2008/12/29 01:03 Public:1
oppekepe 日本外務省の独島広報パンフレットに対する反駁文の反駁文2




o 図解兔許は内国島に渡航することに必要がない文書なので これはむしろ日本が鬱陵島・独島を日本の領土で認識していなかったという事実を立証するのだ.
【反駁の反駁】
当時、日本は既に鎖国を実施中。朝鮮への渡海は、己酉約定(慶長約定)により対馬経由に限定されていた。朝鮮以外の国については、幕府直轄の長崎のみしか貿易の許可がなされていない。隠岐や島根から海外に行くことはない。なお、奉書による日本国内関所への通過許可も存在しており、「兔許は内国島に渡航することに必要がない文書」は事実誤認である。
o 17世紀中葉の日本古文書である 『ウンズシチォングハブギ(隠州視聴合記)』(1667年)は ‘日本の西北の方限界をOki島にする''と記録して日本人たち自ら独島を自国の領土から除いている./FONT>
【反駁の反駁】
原文は隠岐島ではなく「此州」である。「州」を穏州とするか島とするかで解釈が異なる。なお、(鬱稜島から)見高麗如自雲州望隠州と書かれており竹島を朝鮮領としては認識していないことがわかる。
o 1877年日本国家最高機関である大政官は 17世紀末日韓間ギョソブギョルとを土台で “…稟議した主旨の竹刀(竹島, 鬱陵島)外一刀(一島, 独島)の件に対して日本は関係がないということを肝に銘ずること”と言いながら独島が日本の領土ではないことを公式的に認めた.
【反駁の反駁】
少なくとも、17世紀末日韓政府間の紛争において「竹島」が問題となったことはない。外一島の解釈として、島根の地図にあるマノ島(竹嶼)と鬱稜島(当時の内務省の認識は松島が鬱稜島で竹 島がアルゴノート島)がある。

o 一方日本外務省も 『造船国付き合い始末内偵で(朝鮮国交際始末内探書)』(1870年)から ‘竹刀(鬱陵島)と松都(独島)が朝鮮部属になっている始末’という報告書を作成したので松都(独島)が韓国の地なのを自認こんにちはだった.
【反駁の反駁】
当時の内務省の認識は松島が鬱稜島で竹 島がアルゴノート島である。
o 17世紀末日本幕府政権が鬱陵島渡航を禁止する時, ‘竹刀(鬱陵島) 外ドットリボンに附属した島があるか’という江戸幕府の質問に対してドットリボンは ‘竹刀(鬱陵島), 松都(独島)はもちろんその他に附属した島はない’と回答しながら, 鬱陵島と独島がドットリボン所属ではないことを明らかにしている.
【反駁の反駁】
鳥取藩は、竹島は隠岐の島と認識している。当時の隠岐は幕府の直轄領であり、鳥取藩の領土ではない。このため、竹島が鳥取藩の領土でないとする回答は当然である。そして幕府は、鳥取藩から報告のあった鬱稜島の渡海は禁止したが、竹島への渡海は禁止していない。



1724年に鳥取藩で編纂された「竹嶋之書附」


o も日本資料(午夜が(大谷家) 文書)で見える ‘竹刀(鬱陵島) 内の松都(独島)’(竹嶋内松嶋), ‘おかゆも近辺の松都’(竹島近辺松嶋) などの記録がよく説明してくれるところのように ‘独島は鬱陵島の付属島嶼(属島)’で見なされた.だから 1696年 1月鬱陵島図解禁止措置には独島図解禁止も当然含まれていた.

【反駁の反駁】
国際法上75km離れた島を属島とは言わない。なお、鬱稜島と竹島は90km以上離れている。
Sovereignty over Pulau Ligitan and Pulau Sipadan (Indonesia/Malaysia)
The Court observes that these three islands are surrounded by many smaller islands that could be said to "belong" to them geographically. The Court, however, considers that this cannot apply to Ligitan and Sipadan, which are situated more than 40 nautical miles away from the three islands in question.

また、PALMASの判例においても近接性は根拠にならないとされている。
o 図解禁止措置以後ある日本の独島名称混乱は日本が独島渡航はどころか独島に対してまともに認知さえできなかったということを立証している.

【反駁の反駁】
国際法上、必要なのは明確な「委棄」の意思の表明である。
Legal Status of Eastern Greenland (1933)
As regards voluntary abandonment, there is nothing to show any definite renunciation on the part of the kings of Norway or Denmark. During the first two centuries or so after the settlements perished, there seems to have been no intercourse with Greenland, and knowledge of it diminished; but the tradition of the King's rights lived on, and in the early part of the XVIIth century a revival of interest in Greenland on the part both of the King and of his people took place.

o 安竜福の渡日活動については朝鮮の備辺司でも徹底的な調査が成り立ったのでそれを記録した朝鮮の官撰で記録が真実ではないと言う日本側主張は受け入れにくい.
- また日本の記録にないことが朝鮮の記録にあると言って朝鮮の記録が過ちだと判断することは日本側の独断に過ぎない.
【反駁の反駁】
朝鮮政府は安龍福を「漂風の愚民については、もし作為する所があっても、朝廷が認知したものではない(至於漂風愚民 設有所作爲 亦非朝家所知)原文」と日本に回答している。更に「呈書のことについては誠に妄作の罪あり」として安を処罰した事を文書にて日本に通知している。このため、国際法において安龍福の証言を根拠にすることは禁反言(エストッペル)に違反することになる。

偽の呈書を作成した罪で安を処罰したとの朝鮮政府の回答