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teconomy NID:3967452 DispID:3707917 AibonDB Status:0 View:29 ModifiedDate:2008/11/25 13:31 Public:1
koreanot ソウル大学の前身【京城帝国大学】

ソウル大学の理事会や施設等が旧京城帝国大学関連のもの

 

京城帝国大学(けいじょうていこくだいがく)は、1924年日本統治下の朝鮮京畿道京城府(現:ソウル特別市)に設立された、6番目の帝国大学(但し管轄は内地の帝国大学が文部省であったのに対して、朝鮮総督府)であり、朝鮮においては唯一の旧制大学であった。

 

李氏朝鮮では、1895年甲午改革により近代教育制度が始まった。日露戦争後の1905年ポーツマス条約第二次日韓協約により、大韓帝国1897年~)は日本の保護国となった。初代統監として着任した伊藤博文は甲午改革から1906年まで11年たっても全国で小学校が40にも満たない実情を見て大韓帝国の官僚を集めた席で「あなた方は一体何をしてきたのか」と叱責し、朝鮮半島での学校建設事業を最優先してすすめた。 そのため1906年には韓国統監府より普通学校令が公布され、5~6年制であった小学校を4年制に改編し、教育が進められた。日本の支配や普通学校に反発し、愛国啓蒙運動を起こして私立学校を設立し、韓国語ハングルの習得や民族の歴史などの教育を行った者もいた。対して日本は1908年に私立学校令を公布し、統一した教育の実施を狙った。

1910年韓国併合後、朝鮮総督府は朝鮮-人を対象とする第一次「朝鮮教育令」を公布(1911年)して普通教育を進めた。李氏朝鮮時代には一般人(特に女子)を教育する機関はなく、7割程度の朝鮮-人が読み書きができず、また朝鮮では漢字が重視されハングルは軽視され教育されることはなかったため、ハングルを必修科目とした日本の教育により、朝鮮民衆にハングルが広まったとも言われる。しかし、当初は朝鮮-人年少者は未就学であり、就学した朝鮮-人も、多くは民族系の私立学校や書堂に通学し、日本系の普通学校での朝鮮-人は日本人の3%程度だった。総督府はこのような事実に対し、1911年に改正私立学校規則を公布、1918年に書堂規則を公布し、より教育の統一性を図った。初等学校への就学率は併合時代の最末期で男子が6割、女子が4割程度まで上昇した。

1918年、日本(内地)での高等学校令改正に直接的な影響を受けて、1920年に臨時教育調査委員会が設置され、その答申に基く「第二次朝鮮教育令」(1922年)により、朝鮮でも法的に大学設立が可能となった。この動きには、日本内地における大正デモクラシー(1918年~)や、1919年三・一独立運動の発生の影響があるとされる。

朝鮮総督府の武断政治から文化政治への政策転換は「内地延長主義」と呼ばれるが、朝鮮での教育に関しては「内鮮共学」と呼ばれる(台湾でもこの頃同様な政策転換があった→日本統治時代 (台湾)#内地延長主義時期(1915年-1937年))。他方、「内鮮共学」対抗し、三・一独立運動以降の1920年頃からは、民族系の団体が私立の「朝鮮民立大学」設立の動きを見せ、また、在朝鮮アメリカ宣教師団体が専門学校の大学昇格の動きもあった。このような中、朝鮮総督府管轄下で大学設置が進められた